「イスラエルの子らの全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。」ヨシュア記 18章1節
入院前日の1月21日に「主からたくさんの恵みを受取っていることを喜んでいますか」と、自分自身と皆様に問いかけるみことばの箇所を開きました。
今朝はその恵みを味わう箇所でした。
21日に続けて読んだ箇所は、残っている相続地を割り当てるためにヨシュアが部族に命じて立ち上がらせる箇所でした。
人々は、大切な相続地を受け取るために、最初に全会衆が集まり、会見の天幕を建てるのです。
主を礼拝し、主が相続地を主が約束をしてくださったとおりに与えてくださることを確認し、主の恵みを喜び、感謝を賛美の礼拝を献げてから立ち上がり、出かけて行くのです。
実は、残念なことにこのシロの天幕ではサムエル記第一の2章22節になると、祭司エリの息子たちが天幕の入り口で主の前に罪をおかすことが記されます。
大きな恵みを受け取ったイスラエルの子たちが、わずかな期間で同じ場所、主の目の前で恐れることもなく罪をおこなうのです。
罪人の私とそれでも恵みを取り去ってしまうのではなく、約束を守ってくださり、最後には御子イエス様さえ与えてくださる主の恵の大きさと愛を覚えます。
罪があり、不完全な私たちですが、それでも主の声を聞き、主の前に集まり礼拝を献げて賛美することもできるのだと、それも主からの恵みであるともう一度味わいました。
シロが現代の地理、町としては何処であるのかは正確には分かりませんが、私たちには毎週戻ることができて、そこから新しく出発できる日曜日の礼拝が与えられていることを喜び感謝したい。
シャローム