「民はモーセに向かって「われわれは何を飲んだらよいのか」と不平を言った。」出エジプト記 15章24節 (2017新改訳)

イスラエルの民は不平を言います。
水がなかったので、不平を言ったのです。
水がなければ、不平の言葉の一つも出てくるだろうと、弁明することはできません。

この直前に民は経験しました。
エジプトの軍勢が海の水に飲まれて沈んだのを目撃しました。それは主がイスラエルを守り、エジプトをさばいたのです。
そしてイスラエルの民は主を賛美し、ミリヤムがタンバリンを持って歌い躍って主をほめたたえたはずです。

それが三日後、水がないと不平を言うのです。
民は、三日前には、主は恵みをもって導かれたと、賛美したばかりです。13節。
それなのに直ぐに不平を言うのです。
民は、不平を言う前に、心を一つにして主に祈り求めるべきです。
モーセに不平を言っていますが、それは主への不平であり、モーセにだけ責任を負わせるような不平のぶつけ方です。

私たちの口はこのように、賛美と不平が同じ口から直ぐに出てくるのです。
心の中にいつも不平不満があるのでしょうか。きっとあるのです。
主に完全に信頼し委ねることができるならば、賛美の言葉だけが心に蓄えられることでしょう。
それが時に、それも恵みを経験した直後にでも不平の言葉が出て来るのは、賛美と感謝の言葉が蓄えられていないからなのです。
それは主に委ねきっていないということです。

主に信頼し委ね。
いつも賛美と感謝の言葉がこの口から出るようにしたい。
足りないものは主が恵みをもって与えてくださるのですから。
シャローム