「すると、娘は父に言った。「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アモン人に復讐なさったのですから。」士師記 11章36節 (2017新改訳)
 

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、士師記です。
 
 士師記はイスラエルが乱れてた時代に、アモン人やペリシテ人によって苦しめられた時に、民の叫びに主が報いてくださって、イスラエルを宗教的、軍事的に導き助ける「士師」「さばきつかさ」と呼ばれる人を遣わしてくださり、救ってくださる様子を記しています。
 イスラエルは、このの地、王国へと変わっていきます。
 士師は全部で12人います。
 女性が士師として立ち上がる場合もありました。
 また、今日選んだのはエフタですが、この後に続く士師は、わずか2節、3節だけ記される人物もいます。
 
 大切なことは、あわれみ深い主が、罪とさばきの中から叫んだ民の祈りに答えてくださること。
 そして立てられ遣わされた士師は、主のことばを受けて「イスラエルをさばいた」ことです。
 さばいたのです。
 ただ、敵から救い出したのではなく、イスラエルとそこに生きる主を信じるべき信仰者を正しく導き、主の前に整えたということです。
 
 今日選びましたエフタはアモン人との大変な戦いに勝利します。
 しかし軽率なことに、戦いを前にして、勝利した時に、最初に自分を出迎えた人を「全焼のいけにえ」としてささげると、口にしてしまったのです。
 主は、他の国々にあるように、子どもや女性をいけにえとしてささげることを望まれません。
 砕かれたたましいを持って献身することを望まれるのです。
 
 しかしエフタは士師です。
 自分の軽率な告白に対して、指導者として、主は一番苦しいことを報いられました。
 エフタの一人娘が該当してしまったのです。もう、取り消せない告白です。
 いかに人が軽率で罪深い者なのかが分かる出来事です。
 
 しかし素晴らしいのは娘でした。
 彼女は、ただ主だけをほめたたえて、自分からいけにえとなることを望んだのです。
 主は、エフタの言葉に答えたのではなく、娘の主への献身と主に委ねる心を受け取られたのです。
 
 士師記は、大きな出来事が起きたり、信仰の挑戦があったりとして、読みやすく教えられることも多い書です。
 同時に、私たち人が、何度でも繰り返して罪を犯し、主を悲しませ続ける者であることを突きつけられる書です。
シャローム