「そういうわけで、私はあなたがたに会ってお話ししたいと願ったのです。私がこの鎖につながれているのは、イスラエルの望みのためです。」使徒の働き 28章20節
地中海での難破の危険、上陸したマルタ島ではまむしに噛まれるという出来事を通ってもパウロは主の守りの中で歩を続けてローマへの到着します。
囚人としてローマでの生活が始まります。
ローマではかなり自由が与えられたようですが、それでも囚人という立場は変わりません。
パウロはユダヤ人たちと会って話しをするのです。
パウロは、自分が無実であることも伝えますが、もっとも力説するのは、主イエスの福音を語ることです。
パウロが囚人となってローマまでやって来たのは、そこに住む人々と、ユダヤ人が救われるためであると、訴えます。
それはパウロが主から与えられ委ねられた使命です。
鎖につながれていても、解放されたとしても、パウロの一番の関心は主の福音を伝えること。
そしてその福音を聞いた人が救われるという希望を明らかにすることです。
囚人でも自由人でも、パウロは自分のために生きるのではなく、主のために生きる人なのです。
イエスさまの十字架で救われたことを信じた時から、パウロは一貫して主のために生きる人になっています。
その生き方をするパウロにとっては、鎖につながれていることは大きな問題ではないのです。
私たちは何を悩みとし、何を問題にして生きるでしょうか。
真実な望みのために生きることができるなら、それは幸い、平安です。
シャローム