「これらのケルビムの翼は広げられていて、二十キュビトあった。これらはその足で立ち、その顔は神殿の方に向いていた。」歴代誌 第2 3章13節 (2017新改訳)
神殿の中には至聖所が造られていて、そこには一対のケルビムが造られています。
今朝、ここを読みながらケルビムのことを思いました。
創世記3章の最後の節に、エデンの園を追放されたアダムとエバが、勝手に園に近づくことが無いように、主は、ケルビムを置かれました。剣も置かれました。
罪人を見張っているようだと、感じました。
今日のこの箇所のケルビムは、その翼が神殿の壁に届き、互いの翼に届いて、至聖所を守っていることが分かります。
しかし、このケルビムは至聖所の中に造られ、神殿の方に顔を向けています。
主が、この神殿を住いとしてくださり、イスラエルの民と親しく語り合ってくださるとき。
ケルビムはエデンの園を完全に守り、罪人を排除した存在ではなく。
罪人と神殿の間に立ち、人々の礼拝を見守り、神殿を守る使命を現している置かれ方ではないかと思いました。
地に足をつけているのも、罪人と同じ地にあって、見守ってくれているように感じるのです。
このケルビムは、罪人を園から遠ざかる門番ではなく、神殿に至る道が開かれることを象徴するケルビムだと、思ったのです。
ケルビムに守られ、導かれて私たちは、主を見上げ、主のおられるところへの道を見上げることが許されていると思うのです。
私たちは、主を見上げ、自分からではなく、主が開き、導いてくださった道を通って主ご自身に近づけることを覚えたい。
ケルビムの存在はまた、主が大切なものを守られていることを示していることも教えられます。
シャローム