「あなたの生き方と、あなたの行いが、 あなたの身にこれを招いたのだ。 これはあなたへのわざわいで、なんと苦いことか。 もう、あなたの心臓にまで達している。」」エレミヤ書 4章18節

主のさばきがあることを4章は示します。
1節で示されたのは、悔い改めは、心からの真実の悔い改めとともに行動が伴わなければならにことを示します。
この日まで、イスラエルの悔い改めは表面的なもの、形式的な悔い改めに過ぎなかったことを示すのです。

そしてここでは、その真の悔い改め、そして正しい行動が取れなかったことが、さばきを自分の身に招いてしまったことを示します。
そのさばきは苦しく、しかし、それは実は自分の罪の苦さ、苦しさなのだということです。

「あなたの心臓にまで達している」と、あります。
それはこ罪が、心の底にまでしみ込んでしまっていることを指しているのです。
もう、イスラエルには、悔い改めて立ち返る機会はないようです。
それほどに私たちは、神の前に罪を行って、悔い改めることがないのだと、思い知らされるのです。

しかし、エレミヤは続く19節で「私のはらわた、私のはらわた」と、叫んでいます。
民の罪を自分自身の罪のように、代表して心の底から「はらわた」から、主の叫び求めるのです。
はらわたを二度繰り返すのは、心とたましいの一番深いところから、エレミヤが嘆き、叫んで、主の祈っていることを示します。

罪が苦ければ苦いほど、私たちは主に立ち返って、心の深いところから叫び祈るのです。
主はあわれみ深い方、私を赦し、導いてくださるのです。

シャローム