「彼はバアルに仕え、それを拝み、彼の父が行ったのと全く同じように行って、イスラエルの神、主の怒りを引き起こした。」列王記 第1 22章53節 (2017新改訳)

列王記の第1の最後のことばは、アハブの子であるアハズヤが、父と同じように偶像礼拝をして、主の怒りを引き起こしたのだと言う、一言で終わるのです。
とても恐ろしい終わり方だと言えます。

北王国のアハブ王、その子のアハズヤ王の時代に、南ユダはヨシャファテ王の治世でした。
彼はアハブ王たちとも友好関係を持っていましたが、主にだけ仕えて、主の目にかなうことをおこなったのです。43節〜。

しかし北の王たちは、北の初代の王であるヤロブアムに倣って、主に背き続け、偶像の神々に仕えたのです。
偽物の神、偶像の神を信じるのは、偶像に仕えて奴隷となっていくことです。
そしてそのような信仰の姿は、真の神の怒りを引き起こすものです。

神ではないものを神としてあがめる行為は、大きな二つのことをすることになります。
自分から、自分を偶像の神の奴隷としてしまうことが一つ。
真の神の怒りを引き起こして、わざわいを自ら招くことが二つ目のことです。

自分の生きた地上の歴史の最後に、神、主の怒りを引き起こしたと記されて終わる終わり方はなんと空しいでしょうか。
それよりも苦難の中で、地上での生涯を終えても、主のあわれみを受けた者として、終わりたい。その先には、かの日の希望があるから。
そう記されたい。
シャローム