「帰って来てください。主よ いつまでなのですか。 あなたのしもべをたちを あわれんでください。」詩篇 90篇13節
この90篇を、3節から12節までを読んでみると、悲しくなってきます。
人の世ははかなく、人生は労苦に満ちており、長寿になっても労苦が増すばかりであると、詩人は告白します。
しかも主は、人が隠そうとする罪を露にすると言うのです。
悲しみと苦しみの多い人生を嘆いている詩のように思えます。
しかしそればかりではありません。
詩人は悲しみと苦労の多い人生を知っています。
けれども、主が私たちの人生を根底から支えていてくださるのだと知っているのです。
それを最初の1節、2節で告白してから、嘆きの声を上げています。
それは悲しみ苦しみが多くても、主がともにいてくださるのであれば、私たちの日々は満ち足りるのだと知っていて、告白をするのです。
悲しみ苦しみがないように思える人生であっても、その人の歩みに主がいなければ、それこそ空しいのです。
詩人は嘆いてばかりいるのではなく、労苦と業いの多い人生でも、主がともにいてくださる喜びと確信を知っていて声に出すのです。
悲しみ労苦を知らないのではなく、それを経験してもなお、主の慰めや励ましがあることを喜ぶことの方が幸いなのだと、告白するのです。
主のしもべをあわれんでください、私のところに帰って来てくださいと祈れることを、喜びたいと思う朝です。
シャローム