「わたしの民は二つの悪を行った。 いのちの水の泉であるわたしを捨て、 多くの水溜めを自分たちのために掘ったのだ。 水を溜めることのできない、 壊れた水溜めを。」エレミヤ書 2章13節

主は、9節で繰り返して「争う」と、言います。
それは民の罪を指摘するという意味です。
繰り返された大きな罪を暴き、指摘するのだと、主は強い口調で語ります

そして13節です。罪を行い続けるユダヤ人の罪を指摘します。それでもなお、主はユダヤ人を見捨てないで「わたしの民」と、呼んでくださる。
そこに主の深いあわれみと大きな愛を見ることができます。

しかしそんな風に愛されている民は二つの罪を行いました。
ここでは象徴的に、命に必要な水にたとえます。
泉は、水を湧き出します。
命を与え、支えてくださる創造主なる神を捨てることが、一つ目の罪です。

それに対して、水溜めは水を生み出しません。しかもここでは壊れた水溜めですから、まったく役に立たないのです。
人が、自分の思い通りの神を作るが罪を。水溜めを掘ることにたとえました。

二つ目の罪とは、命を生み出すこともできず、支えることもできない偶像の神々を、人が作り出したことです。

偶像の神々をあがめることは、真の神を捨てることとともに行う罪です。
この二つの罪を同時に行い、役に立たないものに従って生きている民のことを、主は嘆きながら指摘するのです。

二つの罪から離れ、主に背を向けないで、主の顔を見て歩み続けたいものです。

シャローム