「もしかすると父上は私にさわって、私にからかわれたと思うでしょう。私は祝福どころか、のろいをこの身に招くことになります。」創世記 27章12節 (2017新改訳)

父イサク、妻リベカ、兄エサウ、双子の弟のいヤコブ、この家族四人が揃って主に前に罪をおかし正しいことをしません。
神を欺き、自分の都合を通そうとします。

父イサクは、兄エサウを祝福して自分の後を継がせたいと願います。しかし神はヤコブを選んでいます。
イサクも知っているのです。でも、エサウを祝福したいと画策します。

母リベカは、弟のヤコブを愛していますし、神がヤコブを選んでいることを信じていますので、イサクの計画を逆手に取ろうとします。
これは上手くいってしまうのです。

ヤコブは、ここで自分と母がしようと計画していることは父だけではなく神を欺くことであり、のろいを招くと知っています。
けれども正しいことをしません。

エサウは、自分が最初に長子の権利を弟に簡単に売り払ったにもかかわらず、父から祝福を受けようとします。
いいえ、その前に長子の権利を軽く扱ったことを真実な心で神と父イサクの前に悔い改めるべきなのです。
そうすればこんな問題は起きなかった。

そして欺かれたエサウは弟を憎み、殺そうとします。
家族四人が、みんな自分の罪を悔い改めることがなく、別の方法で問題を解決しようとするのです。
そして悪い結果を生むことになります。

のろいを自分の身に招いたのは、そう呟いたヤコブだけではなく、家族全員です。
神の前に、罪を隠すことはできません。
神の前に悔い改めた人が、問題を解決して祝福を得るのです。

四人の内の誰か一人でも、途中で立ち止まって神に祈ることができれば、このような悲しいことは起きなかったと思います。
祈り、賛美、悔い改める心を大切にしたいと、思わせる27章です。
シャローム