「それゆえ、イスラエルの神、主はこう言われる。見よ、わたしはエルサレムとユダにわざわいをもたらす。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。」列王記 第2 21章12節 (2017新改訳)

新しいダの王マナセは、主の目に悪を行う人でした。
21章の前半には、マナセが偶像礼拝をして、その像を主の宮に置いたり、自分のこどもをいけにえにして火の中を通らせたと、ことごとく主が禁じたことを行ったことが記されます。
恐ろしい限りです。
主の名をとこしえに置くと言われたエルサレムを偶像と偶像礼拝の心で溢れさせたのです。

ここ12節で、主にさばきがあることが示されます。
それは「エルサレムとユダ」にあります。エルサレムはユダの中心の町ですから、こうしてことばを重ねることで、主のさばきが徹底的に行われることを示すのです。
同時に、主の名の置かれたエルサレムに偶像礼拝が溢れ、主の怒りが大きいことを示します。

そして主のさばきが行われわざわいが起きる時、人々の両耳が鳴ると、言われます。
これはわざわいが非常に悲惨であることを示します。
そして耳が鳴るのは、実際にわざわいがもたらされる時には、人々の叫び、鳴き声が町中に満ちていることをも示すのです。

主のことばに聞くべき耳が、叫びわめく声を聞いて塞がれてしまうのです。
主の声を聞いて従い、主が祝福と平安を与えてくださる時には、両耳は穏やかな音を聞き、賛美の声を聞くのです。

私の耳に今年、どのような声が届いていたのでしょうか。
もう一度、思い返したい。
両方の耳で主の声と、主を賛美する声を良く聞きたいのです。
シャローム