「私はあなたのみことばが見つかったとき、 それを食べました。 そうして、あなたのみことばは、私にとって 楽しみとなり、心の喜びとなりました。 万軍の神、主よ、 私はあなたの名で呼ばれているからです。」エレミヤ書 15章16節

9節までは、主の厳しい、とても厳しいさばきのことばが続きます。
しかし、それは主の神殿で偶像の神々を崇め、まじないなどをおこなってきた報いなのです。
神に背を向けて好き勝手おこなってきた王と民への当然の、ふさわしい報いなのです。

10節からは、そのような状況の中でのエレミヤの独白です。
主の召しを受けて預言者として仕えてきたエレミヤの心の告白です。

そしてもっとも注目したのが16節です。
エレミヤは主からことばを授けられました。
民に語るべきことばを与えられました。
そしてエレミヤは、みことばが与えられた時、それを大切な食事のように食べました。
みことばの食事は、エレミヤの中で、血となり肉となりました。
そのように、エレミヤはみことばを、深く深く黙想したのです。
その黙想は、楽しみとなり、喜びとなって広がっていったのです。

このようにみことばを深く味わう人は、主の預言者と呼ばれるのです。
その預言者の語ることばは実現していきます。

今年、最後の朝出す。
私たちは今、主イエスのみことばを味わい、深く深く黙想して、私の血となり肉となるまで向き合って、しっかり聞きたいと思います。
一年間、変わらない愛で語ってくださった主イエスに心から感謝しつつ。
シャローム