「私の妹だと言って欲しい。そうすれば、あなたのゆえに事がうまく運び、あなたのおかげで私は生き延びられるだろう。」 創世記12章13節

激しい飢饉に遭遇したアブラムは、エジプトへ逃れます。
その時、身の安全のために妻サライを妹だと偽るのです。サライが王の目に留まり、宮廷に召し入れられた時に、兄の立場ならば敬われて守られるが、夫だと知られれば命の危険があると考えたのです。
その計画はうまく運んだように思えますが、主によって暴かれます。
17節では、主がこのことで王ファラオとその宮廷を打たれたからです。

飢饉を避けるための宮廷が打たれて頼りとならなくなってしまったのです。
すべては飢饉を避ける時に、主を頼りとするのではなく、祈ることをしないまま自分の考えだけでエジプトへ逃れ、サライを妹と偽って助かろうとしたアブラムの罪の結果です。

「あなたのゆえに事がうまく運び」と考えるのが間違いでした。
主が良くしてくださるので事がうまく運びます。と、祈り求めるべきでした。
主のことばに従って旅立ち、感謝と賛美の祭壇を築いたアブラムの信仰はどこに隠れ消えてしまったのでしょうか。
飢饉に端を発した不安や恐れがアブラムの信仰の目を雲らせてしまったようです。

不安や恐れがある時こそ、大胆に主に祈り求めて、主の恵みを期待して待てる信仰を飢饉や障害に出会う前から我が内に育てておきたいと思います。
日々、祈らなければ祈ることは身につかず、今日も祈れるように心を向けたい。

主のゆえに事がうまく運ぶのです。

シャローム