「曲がった心は私から遠ざかります。 私は悪を知ろうともしません。」詩篇 101篇4節

ここで「私」と語っているのはダビデ王です。
101篇は、神のみおしえと神の恵みに対する王の応答の詩篇です。

王は、神から恵みを受けて、神に従うことを告白します。
王は神への賛美を大切にします。そして神のみおしえを大切にします。
大切にするとは、みおしえを守り、行動すると言うことです。
ですからここ4節でも、私が悪から遠ざかり、知ろうとしないことを告白します。

知ろうとしませんとは、知識として得ると言うことではなく、悪の行動をしないということです。
遠ざかり、しろうとしないと、表現を変えて繰り返すことで、神への強い応答を現すのです。

王は、王としての治世やさばきの場において、神への正しい応答をもって、神への信仰を明らかにするのです。
知識では終わらないで、行動で現すこと、行動に現れることが真の信仰の姿です。

悪を知ろうとしないと言う告白と、冒頭の「主にほめ歌を歌います」と言う告白の対比が心に迫ります。
私たちの心も、悪に向かず、いつも主への賛美に向くようにしていたいのです。
シャローム