「イエスがそこから進んで行くと、目の見えない二人の人が、「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。」マタイの福音書 9章27節

叫びながらついて行くのは、イエス様に求め続けているということ。
祈り続けたということです。

この二人は、見えるようにしてくださいと叫ぶのではなく「ああわれんでください」と叫んだのです。
二人は、神に見捨てられていると感じていたのです。
それは神様が与えてくださるはずの恵みからも漏れ落ちていると感じていたのです。
ですから、正当な報酬や自分には権利があるはずだと神様に祈り求めることはできなかったのです。
昨日までは、二人は神様に祈り求めることもできないと悲しんでいたはずです。

ところが今、罪人の友人となって助け、病の人に触れて癒してくださるイエス様の存在を聞いたのです。
もし、出会うことができたならば、叫ぼうと考えたのでしょう。
叫び、叫び続けることが、この二人には初めての祈り求めた時だったように思います。
目が見えない二人が、周りの喧騒の中で、耳を頼りにイエス様だけを聞き出してついていくのです。
この叫びは、勇気を持って発し、必死の祈りを続けている様子です。

神様のあわれみを求めること、神様のあわれみの下に自分がいることが大切です。
神様のあわれみの下で目が癒されたり必要が与えられるのです。
私は、神様の恵みから漏れ落ちていない、けれども、神様のあわれみを必死に祈り求めることが大切だと知ってい手、祈り実践することは必要です。今朝も。

シャローム