「そのとき主は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。」 創世記11章5節

この頃の人間は技術を得て、高い塔に代表されるように力をつけてきたことで、神なしで生きることができると考え、神を越えようとさえ考えたのです。
そして、自分たちの力を見せつけるために、頂きが天に届くような塔を建て始めます。
神に敵対し始めたのです。
神と関係を持たなくても自分たちだけで生きていけると行動したのです。

しかし、地上から人間の手で塔を建て手を伸ばしても神には届きません。天の御国へも届きません。
反対に神は、いつでも地上へと降りてくることができます。
いや、地上と地上に生きる私たちと持っている関係を深めようと働きかけてくださっています。いつも。
この時も、主の方から人間に働きかけておられます。

主は、私たちに関わり、行動してくださる方です。
それは関係を深めて、私たちを祝福しようとされる愛に根ざした行動です。
しかし、人間は愛ではなく、名を上げよう、力を誇示しようと、神に敵対します。
降りてくることができる全能で愛の神様と、上ることはできない私の姿が11章にはあります。

関係を深めて祝福しようと降りて来られている神様との関係を無視して、私たちは何を手にしようというのでしょうか。
降りて来てくださる神さまとの関係を大切にする行動を自分のものとしたいと思います。
この方に祈るからこそ、私の拙い祈りも届いているのです。

シャローム