「主の前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち、この祭壇と主の神殿の間から動かし、この祭壇の北側に置いた。」列王記 第2 16章14節 (2017新改訳)
ユダの王であるアハズの治世に彼が行ったことを記す16章です。
政治、軍事的には、彼は自分が弱小国であると感じ、アラムの侵略に対抗するために、アッシリアに援助を求め、同盟を結ぶのです。
アッシリアは、アハズの願いを聞き入れて、アラムを退けます。
国が安定したので、アハズ王はアッシリアの王に会うためにダマスコに行きます。
そこで祭壇を見たアハズは、その祭壇の詳細な図面と作り方を手に入れて、祭司ウリヤをエルサレムに先に帰国させて、同じ物を造らせたのです。
16章は、こういう出来事を記しているようです。と、理解するのに時間がかかりました。書いてあることが分かりにくいのです。(私の感想ですが)
問題は一つです。それが二つのことに現れています。
一番の問題は、アハズ王が南ユダ王国を安定させるために、一番大切にすべきことを間違えていることです。
アッシリア国を頼ってはいけないのです。
主、イスラエルの神、主を一番として、主に祈り求めて、助けが来ることを信じて待つことをするべきでした。
しかし、アハズはそれをしません。
祈ってもいないのです。
それが二つのことに現れました。
一つはこれです。
祭壇を新しく造ったのです。
アッシリアは勝利しました。ユダは助けられました。
それ感謝をするためでしょう。ダマスコに会見のために出かけたアハズ王です。
アハズは、そこで立派な祭壇を見て、心を魅かれ、同じ物をエルサレムにも造りたいと思ったのです。
主の祭壇以外のものに、価値を見いだして心引かれてしまったのです。
そして自分の物にしたいと思ったのです。
二つ目にはここ14節です。
ソロモン王が制作して設置したであろう「主の前にあった青銅の祭壇」を動かしたのです。
即ち、主を一番としないで、それを退けて、別の神の祭壇を真ん中に置いたのです。心引かれた祭壇でしたから。
主の前にあったのです。
それを退け、主の前に行くのではなく、アハズは別の神々の前に行ったのです。
もちろん、15節などでささげている物は、偶像の神々ささげているのではないでしょう。
しかし、いつの間にか、既に、アハズ王の心は主の前には無くなっています。
私たちはいつも主の前に自分を置き。
心とたましいを主に向けて、一心に祈り、行動を決めていくのです。
主以外のものに心を魅かれたりしないようにしなければ、いつの間にか歩むべき道を間違えてしまいます。
主の前にいることを覚えたい朝です。
シャローム