「喜びをもって主に仕えよ。 喜び歌いつつ御前に来たれ。」詩篇 100篇2節
短い100篇です。その5節の中で、歌い、喜び、感謝し賛美することを声に上げています。
特に目が留まるのは「主に仕えよ」とのことばです。
私たちは、3節にあるように主に造られた存在なのに、その主から離れて自分は何でもできるのだと思っています。
ですから、罪を認めて悔い改める前は、主に仕えることが嫌なのです。
私たちは主のものであり、主の民であり、主の牧場で養われ守られている羊であることを忘れています。
しかし主に仕えることは不自由なことではなく、喜びと感謝が出てくることなのです。
嫌々仕えれば、それは始めから終わりまで苦痛でしょう。
しかし、愛され守られている身であることを覚えて、喜びを持って主に仕えるとき、喜びと感謝が、さらに喜びと感謝を生み、賛美が湧き出ます。
主に仕えるとは、主に愛されて守られていることを告白して、主の備えてくださる良きわざに励むことです。
暴君に力で押さえつけられて従わされるのとは全く違い、いつくしみ深い主に恵みを与えられて、ともに良きわざをすることです。
主に仕えることそのものを喜びとして始めるなら、その先には歌と感謝があります。
これは実践しなければ味わうことができません。
ですから詩人は最初に招くのでしょう。
喜び歌いつつ御前に来たれと、私を招いてくれるのです。応じる素直さと決意を持っていたいと思います。
シャローム