「あなたが彼らを植え、 彼らは根を張り、伸びて実を結びました。 あなたは、彼らの口には近いのですが、 彼らの心の奥からは遠く離れておられます。」エレミヤ書 12章2節

エレミヤの祈り、訴えと主の答えが語られる12章です。
主はエレミヤと論じてくださるのですが、それでもやはり正しいのは主なのです。
1節で、最初にそうエレミヤは語ります。それはそう分かっていても続く2節の言葉で主に訴えずにはいられないエレミヤの苦しい心があるからです。

エレミヤは主に背き、それなのに豊かに暮らしている者たちがいること、悪があることを訴えるのです。
それは決して外国人のことではなく、イスラエルの民の中にいるのです。
「あなたが植え、根を張り、伸びて実を結び」とは、主が契約の民の一人として、約束の地に移植して、そこでその人たちが繁栄したのだとの訴えです。
即ち、神が彼らを移し替え繁栄させているのではありませんかと言う、訴えです。
これはかなり凄い言葉、神への挑戦の祈りです。

エレミヤには、彼らは律法に反して、口先だけで神を敬っているだけに見えます。
そして彼らの心は、律法から離れ、神さまから遠くにあるのだと、思っています。
ところが、神は、そんな彼ら、悪を行う者の近くにいて、彼らの不正の祈りに答えているように見えるのです。

「神さまが本当にいるのならば、何故、この世界に悪があり悪人が繁栄するのですか」この訴えは現代でも聞こえてきます。

エレミヤは、神が不正をされるなどと思ってもいないのです。神を信じているのです。
それだからこそ、余計に今の苦しい現状を覚えるのです。
何故、口先だけの信仰者である契約の民がいるのか。
でも、同時にエレミヤは、神がそれらをすべてご存知であり、神を信じて従い、正しいことを行う人を、見捨てずに救い、恵みを与えてくださることを知っているのです。
知っていてなおも、訴えるのが、エレミヤの信仰そのものなのだと思います。
信頼があり期待しているので、神に挑み訴える祈りをする、そんなエレミヤの姿を見る朝です。

私も形だけでなく、口先だけでなく、心の奥から真実に叫び主に挑み掛かれるような信仰の実践者でいたいと、思う朝です。

12月25日です。主イエスが地上に生まれてくださった日です。
御子が、地上の人々に愛とあわれみをもって挑んでくださった日でもあると感じます。

シャローム