「すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。」マタイの福音書 8章2節

罪人だと陰口を叩かれ、汚れていると突き放され、苦しい日々を送っていたのがこのツァラアトに冒されていた人です。
この人の病は医者には癒せません。
祭司も汚れているのか、きよくなったのかを判断する役目を持っていても、癒すこと、きよくすることはできません。

苦しめられ、蔑まれてきたこの人は、イエス様を見ました。出会ったのです。

真っ直ぐにひれ伏し、イエス様に願い出ます。
25節で、湖の真ん中で大波をかぶって死にそうになった時に、イエス様に叫んだ弟子たちは情けない限りでした。
イエス様に信頼して願っていない弟子だからです。

この人は違います。
真っ直ぐにイエス様だけを見つめ、信頼し、期待し願い求めます。
こんなにも真っ直ぐにイエス様に願い出ることができたなら、素晴らしいと思いました。
うらやましいとも感じるほどの信仰と祈りです。

でも、それはこの人が誰よりも苦しいところを通ってきたということなのです。
祈りのことばを練り上げることも大切です。
でも、この人のように、イエス様の前に行き、真っ直ぐに明確に祈り求める人となりたいと、思う朝です。

12月25日、クリスマス、主イエスのご降誕を祝う日曜日です。
心を合せて、礼拝の場へと進みましょう。

シャローム