「だれでも、求める者は受け、捜す者は見出し、叩く者には開かれます。」マタイの福音書 7章8節

さばいてはいけませんと、語り始められた7章は、みことばを実践する者になることを教え命じます。
その中で8節が教えるのは、神さまからの救いを受けることの大切さと、神様から恵みを受けることの大切さです。
自分の罪が赦されることが一番大切であり、最初に求めるべきことであるのは確かです。
神様を知らないと言い、神様から離れて自分勝手に生きていた原罪を赦されることが必要です。
しかし、それが赦されたのならば。それで終わりではないのです。
赦され、神を信じる生き方が始まります。

その時にはもう、何も求めなくてよいのでしょうか。
正しい生き方、生活をするように頑張ればよいのでしょうか。
それは無理です。

罪が赦された者には、祈りの生活が必要です。
求め、捜し、叩くとは、すべて私の心と行動が神様に向かっていることを示します。
それは求め続けること、捜し続けること、叩き続けることです。
それらは祈り続けることに集約されます。

常に神様に祈り続けること、それは自分には足りないものがあり欠けがあることを認めて、いつも神様に祈り続けることの大切さを教えます。
そうすれば良いものをくださる神様がそれに答えてくださるのです。
祈り続けない人は、求めることも、捜すことも、叩くこともできないでしょう。
そして、その人は受けることも、見出すことも、開かれることも経験できないのです。
もう一度、御顔を仰ぎ、祈り続けることに熱心になりたいと思います。

シャローム