「主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。」列王記 第2 14章27節 (2017新改訳)

主は本当にあわれみ深い方であり、恵みを与えることを惜しむことがない方です。
この時代の南ユダの王と北イスラエルたちは「主の目にかなうことを行う」3節、なのか「主の目に悪であることを行う」24節、のかでした、
その繰り返しです。
14章では北のヤロブアムは、主の目に悪を行う王でした。
しかし、そんな王の治世にも、主はあわれみをもって臨んでくださる方でした。
ヤロブアム王(比べて表記するならヤロブアム2世)は、アッシリア帝国に侵略支配されていた地域の領土を回復しました。
アッシリアに支配されたままでは収穫物のことや生活の様々なことで人々は苦しんだことでしょう。
それをヤロブアム2世は、回復したのです。
それは人々にとって恵みです。

ここには「名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった」とあります。
侵略支配されて町が地域がなくなってしまうのではなく回復させてくださるのです。
それは主の目に悪を行う王の働きを通してでも、民に恵みを与えてくださっていると言うことです。
主の目に悪ばかりを行い続けているから、もうこの町は滅ぼそうとは主は望まれなかった。
それどころか回復してくださり恵みを与えてくださる。

王と民は、その恵みの中で、本当ならば主に立ち帰る機会を与えられたのですが、それもできない人たちです。

主は、私たちが罪を犯したからと言って、たちどころに私の前から去ってしまい、二度と恵みや守りを与えてくださらないわけではないのです。
いつもあわれみ深く接してくださり恵みを惜しむことなく与えてくださる。
主のことばに従い通すことがなくても恵みを受け取れるならば、主の目に悪を行って好き勝手に歩んだほうが得ではないかと、高慢に語り、そのまま歩み続けるのか。
こんな罪に沈む中でも、主の恵みがあるのかと驚き、主の前に立ち帰り、主の目にかなう生き方へ変わるのか。
主のあわれみと恵みの中で、私たちはどうするのかが問われています。

日々の小さな恵み、当たり前のように受け取っている恵みの先にあるよいものを信じて、今日の行動を決めていきたい。
シャローム