「彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。」 創世記9章21節
1つ前の節には、ノアは農夫でぶどう畑を作り始めたと、あります。
自分の手でぶどうを育て、ぶどう酒も作ったのです。
神様が、乾いた大地で生き、生めよ、増えよ、地に満ちよと祝福をしてくださったので、ノアは農夫となりぶどうを育てたのです。
しかし、そのぶどう酒で酒に酔い、裸をさらすという罪を行ってしまったのです。
ノアの裸を見たハムが、それを兄弟に告げたことが罪だと示されていることから、ノアが裸になったのは、衣服を脱いだということでは終わらないで、裸となって恥を晒したということです。
神に従って生きたノアです。
洪水の中を守られて、神様の祝福のことばを受けて、農夫として生き始めtばかりのノアです。
その最初のぶどうの収穫という、恵みと喜びの中で、ノアもまた罪を犯していたということでしょう。
その父の罪を覆うのではなく、晒し、広げたということでハムはさばかれます。
でも、ノアにも非があったと感じます。
ぶどう酒の身体への影響を、ノアがどこまで知っていたのかは分かりません。
しかし、裸となってしまうという、罪を犯したのは事実です。
ノアほどの人でも、たった1つのこと、それも自分の専門とするぶどう作りのことで、失敗し罪を犯すのだということを覚えたい。
神様に祝福され、恵みと喜びの中で、直ぐに罪を犯す、また、常に罪を犯してしまう弱さを私たちは持っているのです。
ハムはさばかれましたが、ノアの祝福はなくなりませんでした。
それでもなお、主はさばきではなく恵みとあわれみを与えて、私を導いてくださるのです。
シャローム