「しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損の修理をしなかった。」列王記 第2 12章6節 (2017新改訳)

ヨアシュ王は、祭司エホヤダに導かれて、幾つもの改革、それも主への信仰のために改革をおこないました。
ヨアシュ王は、主の宮に献げられたものを用いて、神殿の破損している箇所を修復するように命じました。
しかし、彼らは一向に修理をしませんでした。

この時からずっと後の時代に、捕囚から帰還した民が、やはり自分の家を修復することを優先させて、神殿再建の時は未だ来ていないと、後回しにすることが起きます。
ハガイ書1章4節です。

同じではないでしょうか。
偶像礼拝が盛んであった先代の王の時代から、ヨアシュ王に代わり、主の宮が大切にされるようになり、祭司も用いられるようになりました。
すると、祭司は神殿の奉仕と自分たちの生活に目が向き、破損している箇所にまで心が向かないのです。
自分勝手な姿が、ここには隠れ見える気がします。

15節には、ヨアシュ王が修復を祭司から別の者たちへの管理と実践に変えた時、彼らが忠実に仕事をしたと記されています。
心を向け、忠実に神殿のために奉仕する人も現れるのです。
祭司たちを責めることはできません。
私たちは、どうしても自分の必要や不足に先に目がいくものです。

しかし主のために手を動かし、心向ける人に主は豊かに顧みてくださり。
後の恵みは、最初の恵みよりもさらに勝るものとなります。
私たちが主に献げ、主に仕えることを、惜しむならば。
主も恵みを注ぐことを遅らせることでしょう。

惜しみなく恵みを注いでくださる主に期待して祈ろう。
今日も、主の恵みが私の奉仕より先に届くのです。
シャローム