「まず神の国と神の義を求めなさい。〜」マタイの福音書 6章33節
良く知っているみことば、いえ、自分では良く知っているつもりのみことばです。
あらためて、6章を繰り返して読み直しました。
6章は、初めから終わりまで、ずっと父と私とのことを教えます。
祈る時にはまず初めに「天にいます私たちの父よ」と祈ることを教えられます。
そして、それよりも先に「あなたがたの父は、あなたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです」と、教えられていました。
さらに野の花を父が装わせてくださる方であると教えた上で、着る物のことで心配をするなと教え、命じています。
私たちが、求めるべきこと、祈るべきことは、神の国と神の義を求めることなのだと、結論を教えます。
それは私が父なる神のことを深く知り、神との関係をしっかりと深く結ぶことを求めるということです。
父は、私との関係を結んでくださろうとしておられます。私の必要を知って、恵みを注ごうとしておられます。
しかし、食べる物、着る物を満たされるという、生きる上での大切な物以上に、実に父との関係を結ぶことが大切であると、6章は教えます。
父との関係が途切れてしまったのならば、他の物がどれほど豊かに手の中にあったとしてもそれははかなく消える物です。
しかし父との関係は、誰にも奪えず壊せません。私が求める限りにおいてはです。
だから、確認の意味も含めて「まず神の国と神の義を求める」のです。
父との関係に始まり、父のとの関係に終わり結ばれるのです。
思い返せば、神の国と神の義を受け取らせてくださいと、言葉にして祈り求めたことは少なかったように思います。
「まず神の国と神の義を求めます」
シャローム