「主は、アブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の家に帰って行った。」創世記 18章33節 (2017新改訳)
主と二人の御使いだと思われる三人の人が、アブラハムが寄留している土地を訪れた時の出来事を記す18章です。
アブラハムは三人を見つけると、直ぐに走り寄り引き止めます。
そして最高のもてなしをするのです。
この時のアブラハムの霊的な洞察力と、決断、行動力に学びたいと思います。
主は、アブラハムにソドムとゴモラの町の悪が満ちているので滅ぼすことを教えてくれます。
それを聞いたアブラハムは、町には正しい人がいるかも知れないのに、悪い者たちと一緒に滅ぼしたりしないでくださいと、願うのです。
その正しい人に人数を、アブラハムは50人から始めて、五人不足しているかもと、願い出て、続けて、40人、30人、20人、10人かもと、願い出ます。
ソドムに正しい人なのいないと、アブラハムも知っていたのだと思います。
しかしアブラハムは、主に助けてくれるように懇願しないわけにはいかなかったのです。
いつでも、主のあわれみを求めることは必要な祈りです。
主もまたアブラハムの、この行動、祈り願うことを待っておられたのだと、思います。
アブラハムが正しい信仰者だからと言って、主が何故、ソドムを滅ぼすつもりだと、明かしてくださったかは、分かりません。
しかし今朝、思うこと、知ったことが一つあります。
主は、アブラハムと、そして私たち現代の信仰者と、語り合いたい願ってくださっているということです。
ここに語り終えると、去って行かれたとあります。
主は、私たちに語りっぱなしで放っておく方ではないのです。
私たちがもっと主と語り合いたい、主に祈り願いたいと思う時、主は喜んで答えてくださる。
小さな私と、全能の大きな愛の方が、語り合ってくださる。
私たちは、自分の願いだけを祈り、そして終わっていないだろうか。
もっと、もっと主と祈りの中で賛美を通して、語り合うことを求めるべきなのだと教えられた箇所です。
アブラハムは、執拗に主にすがり、滅ぼさないで欲しいと願い続けました。声を止めなかったのです。
私も、主ともっと語り合うことを求める必要があるのです。
シャローム