「神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」創世記 17章19節 (2017新改訳)
 
 
 神が再びアブラムにお現れて告げます。
 契約の更新とも、契約の内容をさらに深く明かしてくださったのだと言えます。
 アブラムの名は、アブラハムと変えられ、妻サライの名はサラと変えられることが告げられます。
 同時に、アブラムの家の男子は全員が割礼を受けることを命じられます。
 割礼によって、自分の包皮の皮を切り捨てることで、頑なな心を切り捨てて神に従うことを明らかにするのです。
 
 この時、アブラムは99歳、妻は90歳です。
 神は、99歳のアブラムに対して、この後、妻サラがアブラムの子、それも跡継ぎとなる男の子を産むと、語られたのです。
 アブラムは心の中で笑ったと、17節にあります。
 こんな高齢の二人の間に子どもが産まれるとは信じられなかったのです。
 人の常識ではその通りなのです。
 
 17節で、アブラムは、ひれ伏して神を礼拝し、従いつつ、笑っています。
 私には、これをアブラムの不従順とは呼べません。私も同じような者だと思うからです。
 アブラムは精いっぱいの信仰で答えて、先に生まれている子どもであるイシュマエルが祝福されるようにと願うのです。
 
 想像することもできない自分と妻の間に男の子が生まれると言う将来。
 しかし19節で、神は既にその男の子が生まれたかのように名をつけるのです。イサクです。
 イサクは「彼は笑う」と言う意味があります。
 信仰を持ちながら、神に従順に従いたいと誠実に願いつつも、全能の神の力と愛をすべて知ることができず、従い通せないアブラムの信仰の限界が、アブラムに17節で心の中で笑わせました。
 しかし、神はアブラムを叱責したりさばくのではなく、その笑いを彼の子どもの名へと変えて、恵みとしたのです。
 
 私には想像できない大き過ぎる将来の恵みを、神は既に与えたものとして、私に示される。
 そしてその通りになる日が来ます。
 私たちは恐れつつ、主の約束が実現する日を期待して待つのです。
 
 神の恵みを信じて期待して待つ信仰者には、恵みがさらに先の恵みへと広がっていくのです。
 神は悲しみ涙を、笑いに変えてくださる方です。
シャローム