「かなりの日数を経て、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地の上に雨を降らせよう。」」列王記 第1 18章1節 (2017新改訳)

18章は、20節からのエリヤとバアルの預言者との祈りの戦いとでもいうべき場面が中心となる箇所でしょう。
偶像の神々であるバアルを信じるアハブ王と預言者が、どれだけ熱心に叫んだとしても、バアルは答えることもできませんし、天から火を降すこともできません。
その祈りの戦いを目撃することで、主への信仰が萎え、いい加減な信仰となっていたイスラエルの民の信仰が目を覚ますのです。
祈りの戦いは、エリヤの権威を示すものではなく、主こそ真の神であることを示すものです。

その戦いを前にして、主は一番最初にエリヤを通して宣言をされます。
「この地の上に雨を降らせよう」とのことばです。
このことばが、最初に語られたことが大切です。

17章1節で、主はこの地に数年の間は雨が降らないと語られ、その通りになりました。

今、エリヤがバアルが偽の神であることを証しする前に、主が、雨を降らせると宣言されたのです。
雨は降るのも、主からの恵みの結果であり、全能の主が雨を造り、雨を降らせてくださるのです。
主のことばが、私たちの住むこの地の上に、実際の事象として、恵みとなって起きるのです。

そして、もう一つ。
エリヤが祈りの戦いに勝利をしたから、雨が降るのではありません。
主が、雨を降らせると、先に恵みを与えてくださるのです。
主の恵みの約束は、私たちの信仰の結果ではなく、恵みが先にあって、私たちは恵みの中で主を見上げているのです。

今朝は、早い時間から雨が降っています。
主が、恵みを与えようと今日も、私たちの済む地の上に恵みを注いでくださることを覚えたい。
シャローム