「神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためです。」テサロニケ人への手紙 第一 4章7節
テサロニケの教会が、パウロたちの宣教の旅と働きを祈りと献金をもって支援してくれたことを、パウロは心から喜んでいます。
一方で当時の教会の中に、もう間もなく主イエスの再臨があるので、働く必要もないし自由気ままに生きる人たちがいました。
パウロはそのの人たち、その生き方はせっかく与えられた救われた聖さのある、道から外れてしまい、聖さを拒むだけでなく、与えられ私たちの内側に住んでくださっている聖霊様をも拒むことだと警告します。
イエス様を信じたのは、私が求めて見出したものではなく、神が私を選び召し出してくださったからなのです。
ですから、召されて主を信じる者となった私たちは、互いに愛し合い励まし合い、そして隣人を会いする生き方を求めて実践するのです。
ますますそうするのです。
それがまた、互いに聖い者となっていけるのです。
それは神様に喜ばれることであり私自身もその喜びを味わいます。
シャローム