「しかしエフーは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけることをせず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。」列王記 第2 10章31節 (2017新改訳)

エフーの謀反は成功しました。彼はアハブの子どもたちを処刑して殺し、アハブの家に属する者もすべて処刑して取り除きました。
次に、バアルを信じる預言者と信者を、すべて神殿に集めて、これも処刑しました。
こうしてイスラエルから久しぶりにバアルを信じる者は一掃されたのです。

ところがエフーは、あのヤロブアム王が築いたベテルとダンにあった金の子牛を取り除かず、これを拝みました。
ヤロブアムの罪から離れず、民もエフーに倣っていくのです。

不思議です。
主のことばを聞き、アハブの家の者、即ち偶像を拝んだ者たちを一掃し、バアルの信者さえも一掃したのに、何故、金の子牛は取り除かなかったのでしょう。
ヤロブアムを超える王になりたかったのでしょうか。
主を形あるものに変えることで、信仰が分かりやすかったのでしょうか。

いずれにしてもエフーはイスラエルの神、主にだけ仕えることができませんでした。
バアルは取り除けても、自分の心の中にある偶像礼拝を取り除くことができなかったのです。
折角の行動がすべて無駄になってしまったのです。

ここには「主の律法に歩もうと心がけることをせず」と、示されています。
私たちは、偶像へ向かう心を取り除き、主へと、主にだけ心を向け。
主のことばにだけ聞くことを切実に求めることをしなければならないのです。

主の恵みから始まっているのです。その恵みに答えるだけなのです。
罪と罪の心を、私の生活から、私の心の中から、放り出して、主にだけ心を向け、耳を傾けたい。
シャローム