「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼は、主が顔と顔とを合わせて選び出したのであった。」申命記 34章10節

モーセが主の命令により、モアブの地で死ぬことが記される申命記の最後の章です。
命を与え、日々命を支え、命を取られるのが唯一の神、主です。
その主が、モーセの命を取られる時に、人々に対してモーセが卓越した預言者であったことを示します。
この後にも預言者は主によって遣わされますが、モーセのような人は現われません。
優秀だということではありません。
主が、民数記12章8節でも語られるように、モーセに対しては主が口と口で直接に語り合い、御顔を見せられたからです。
それはエジプトからイスラエルの民を連れ出し、荒野の旅を経て、約束の地へ導くと言う特別な使命を果たすための器として、主が、直接選び出したモーセだったからです。

今、私たちには、モーセの代わりに直接神が人となって語りかけてくださったイエス様が与えられています。
モーセ以上の預言者はいませんが、モーセを越えた御子が、私たちには与えられていることを喜びたい。
モーセは120年を生きて人々を導きました。目はかすまず、気力も衰えなかったのです。
そして今、衰えることも変わることもない永遠の御子が、私たちを導いてくださっています。
私を罪から救い出すために御子が与えられたことを、クリスマスを間近にしている今朝、もう一度しっかりとその恵みを味わいたい。

シャローム