「こういうわけで、私は膝をかがめて、」エペソ人への手紙 3章14節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、エペソ人への手紙です。
著者はパウロです。
獄中書簡と呼ばれる手紙の一つです。ローマの獄中執筆されました。
エペソの教会と言うのではなく、コロサイの教会と小アジアの諸教会に回覧されて読まれた手紙です。
当時は、手紙の写本による手紙の回覧と言うことです。
写本の手間と時間、それを各教会にとどけることを考えると、書いたパウロにも大切な手紙の内容であり、読む諸教会の信仰者にはさらに大切に扱ったことだと思います。
その内容は、紙の救いの計画から始まり、主の恵みにより私たちは救われたことを強く訴えます。
そして救われた者たちの集う教会が、目には見えなくてもキリストの身体であり、神の家族であることを訴えます。
神の家族である基本、拠り所はキリストが愛してくださったことです。
私たちが、救い主を信じており救いが確かなものであるのは、目には見えなくても愛に根ざし愛に基礎を置き、互いに愛しあうことです。
選民イスラエルであることが誇りではなく、どこまでもキリストの恵みによります。
それなのでパウロはこうして祈る時のことを敢えて「膝をかがめて」と、表現するのです。
何故なら、膝をかがめるのは、救い主のイエスを愛して謙遜に仕える姿を現します。
同時に、ユダヤ人であるパウロ自身が、選民意識を取り除いていることを証しするのです。
これまで、ユダヤ人は祈る時には、立ったままで両手を天に向けて高く上げて、天の父に祈ったのです。
そして天の父は、選民イスラエル、ユダヤ人の祈りだけを受け入れてくださっている考えていました。
しかし今、主イエスyの同じ恵によって、異邦人も神の家族となっています。神の家族の祈りを主は天において喜んで受け入れて答えてくださっています。
ですから、新しい祈りの姿勢を取り、謙遜さを現し、恵みによって祈っていることを明らかにするのです。
パウロはキリストの恵みを喜び。
恵によって救われたことをいつも意識しているのです。
私たちも夕に朝に祈ります。
その祈りは、主の恵みを喜び、愛に根ざして祈ってます。その時、私の外側の身体は、それをどのように現しているでしょうか。
内側から祈るその祈りが、外側にも祈りの姿として現れたなら嬉しいと、思わず思ってしまった朝です。
シャローム