「ヨラムはエフーを見ると、「エフー、元気か」と尋ねた。エフーは答えた。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに。」」列王記 第2 9章22節 (2017新改訳)
エフーは預言者エリシャの使者によって、自分がイスラエルの王ヨラムを討って、王となる預言のことばを受け取ります。
それはエフーが主の目に叶う人だからではなく、主がアハブの家に属する者とイゼベルを、イスラエルから取り除くためでした。
主のさばきの器として、剣としてエフーは用いられるのです。
いずれにしてもエフーは立ち上がり、謀反を起こしてヨラム王に立ち向かいます。
療養中であったヨラムは、エフーが何のために自分の居るところに来るのかを探るために使者を繰り返して送りますが、使者はエフーに味方するのです。
ヨラムは、次に直接出向いて、エフーに尋ねるのです。
元気かと言う問いかけは、事情を探ろうとする言葉に過ぎないのでしょう。
しかし、主はこの時、エフーの口を通して一番大切なことを言葉として、エフーに語りかけ、私たちにも届けます。
療養中であることは問題ではないのです。
身体が健康で、王として豊かな生活があっても駄目なのです。
それは健康ではないのです。
主から離れて、偶像の神々を拝んで頼り、姦淫を犯しているような日々は、健康だとは、絶対に言えないのです。
元気であると言うことは、主を信じ、主に繋がっている日々を送ることです。
偶像礼拝を献げ、呪術などに頼っていてはいけないのです。
朝に夕に、主に祈り、主に礼拝を献げ、主のことばを慕い求める生き方が、真の健康な生活です。
罪を放り出して離れ、主の前を歩むことが、身体と心とたましいの元気な日々です。
シャローム