「それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」 創世記6章6節
神に造られた人の心が悪に傾くことを見られた神、主は悔やみ、心を痛められたとあります。
神の悔やむとは、私たち人の後悔とはまったく別のものです。
私たちが悪をおこなうことに対して、神様が対応する態度を変えられるということです。
具体的には、この後、主は洪水によって全地を滅ぼします。
完全な義の方である主は、悪に満ちたままの人をそのままにはできないので、さばきをおこなうのです。
しかし義の方は愛といつくしみの方です。
悪に満ちて滅ぼさなければならない人のことも惜しみ心を痛めてくださるのです。
それ故、ただ一人神の従おうとする心のノアを選び、ノアを救い、守り導くのです。
そしてノアは、自動的に助けられるのではなく、主のことばに従うことを通して新しく生きるようになります。
神は怒りの方ではなく、心を痛められて、悪に満ちてしまう罪人の私さえも惜しみ、心を痛めてくださる方です。
それなので、私たちは神様の御心を聞いて、神さまのことばに従う道を選び歩みたい。
神が人の行動を知って心を痛められる方であることを、よく心に刻みたい。
私の選ぶ行動は、神様の心を痛めるようなことはなかったでしょうか。
シャローム