「しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると約束されたからである。」列王記 第2 8章19節 (2017新改訳)

南ユダのヨラム王の治世のことを示します。
この頃の南ユダ王国の王たちも北イスラエル王国の王たちと等しく、主に背き偶像礼拝をしていました。
その働きにも見るべきものがなく、エドムとの争いも続いていました。
なによりも、18節に記されるとおり、主の目に悪であることを行っていました。

ヨラムの子のアハズヤが王になっても、それは変わることがありませんでした。
悪王と呼ばれた者たちに倣って主の目の前に悪だけをおこなったのです。27節。

しかし王国は滅ぼされることがなく、なんとか続いていました。
その理由は、ただ一つです。
主が、滅ぼすことを望まれなかったのです。まだ、なのです。

主を信じて歩むならば、主の恵みは千代にまで及ぶと、十戒を授けてくださった時に約束をしてくださいました。
ダビデ王国を、とこしえに立てると、主はダビデに語り約束をしてくださいました。
ですから、主は、忍耐し寛容に待ってくださるのです。

必ず、主にたち帰る王と、民が現れる日を、主は待ってくださり、滅びではなくともしびを与えてくださっているのです。
このともしびは、王国が攻められても、完全に滅ぼされることがなく、人々が生きることができるようにとの恵みを示します。

同時に、真っ暗な中を歩くためのともしびです。
主の目の前に悪だけをおこなっている民に、主の道を指し示し、足もとを照らすともしびです。

私たちが望むなら、どんなに苦しい時でも、主が道を示してくださっていることに気がつくことができます。
そしてその時、主の恵みが失われていないことを知り、味わえるのです。
主は、最初から一方的に恵みを与えてくださり、その恵みと約束を取り去らないで、私たちが主に立ち帰り、主の道を歩むことを待っていてくださる。

主は私を滅ぶことを望まれず、私が主のことばに聞き従う恵みの道を歩むことを望まれている。
主はそのためには、惜しむことなく私を助け、御子のいのちさえも与えてくださったのです。
シャローム