「まことに 主は私たちの神。 私たちは その牧場の民 その御手の羊。 今日 もし御声を聞くなら」詩篇 95篇7節

「さあ 主に向って 喜び歌う」と、最初に声を上げます。
どこにいるのか分からない神々、存在しない人が作った偶像たちに叫んだも私たちの声や祈りは届きません。
しかし、私たちの主は、真の神で、あると言う方、私が主に向って叫べば、主はいつでも聞いていてくださる。
ですから私たちはまず、賛美の声を上げるべきなのです。

すると主は、後半8節以降で、出エジプトの民たちのように、主に呟いたり不信仰になってはならないと勧告します。
すると「主は私の羊飼い、私はその牧場の羊」と、7節は、詩篇23篇のことばを思い起こさせてくれてることに気がつきます。
私は、常に主に導かれており、私には帰るべき牧場があり、そこには安心があることを思い起こせるのです。

そして詩人は、私に、決定的なことを迫ってきます。
「今日 もし御声を聞くなら」
信仰は、今日の信仰が問われます。
信仰は、今の信仰が問われるのです。

私は今、主に賛美の声を上げているか。
私は今、主の声を聞いているか。
私は今、主の声を聞こうとしているか。
私は今、主を賛美したいと願っているか。

今の私の信仰を、今、主は待っておられます。
だから今、喜び歌おう。主に向って賛美しよう。
シャローム