「すると家来の一人が言った。「いいえ、わが主、王よ。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げているのです。」」列王記 第2 6章12節 (2017新改訳)

アラムの王がイスラエルを攻め取ろうとして幾度も兵を進めますが、毎回、イスラエルの王がその場所を警戒するのでアラムの作戦はことごとく失敗に終わります。
戦力は、圧倒的にアラムが上なのです。ですから、作戦が進まないのは、アラムの家来に裏切り者がいると王は考えました。
その時、家来の一人が、作戦が失敗する理由を話したのがこの12節です。

エリシャがアラム王の作戦を見抜いて、イスラエルの王に進言するので、失敗するのだと告げます。
それは家来の中の重臣でさえも知ることができない王が寝室で語ることさえ、エリシャは知ることができると、いうのです。
正しくは、イスラエルの神、主がエリシャの口を通して、教え助けてくれているのです。

神、主の前には隠し事は一切できません。
また、主に敵対して、主が愛して守ろうとするイスラエルを、攻め取ることはできないのです。
エリシャの力に驚くのではなく、主の力に驚き、ひれ伏すべきなのです。
この家来も、神、主に隠し事はできません。主が、この進軍、侵略を許さないのですと、訴えるべきでした。

この後、17節で、アラムの軍在に攻められているエリシャを、主の軍勢が、山に満ち満ちて守っている姿を見る場面があります。
この時、エリシャの召使いは、実際に目で見なければ、主の助けと守りを知ることができないという、鈍い目と心を持っていました。
アラムの王とその家来も、作戦が失敗して侵略できないと言う事実だけを見るのではなく。
そこには見えない主のご計画と守りがあることを知ることが必要でした。

それには、全能であわれみ深い神に謙遜に仕える素直な心とたましいが必要です。
シャローム