「耳を植えつけた方が 聞かないだろうか。 目を造った方が 見ないだろうか。」詩篇 94篇9節

「復讐の神 主よ」と、2度繰り返して94篇は始まります。
詩人を苦しめる者たちに対して、神に復讐をして欲しいと強く願っているような始まり方ですが、そうではありません。
神、主はふさわしくさばく方であることを告白しているのです。
もちろん、悪しき者たちが好き勝手なことをして続けている状況があります。
詩人も苦しめられています。

しかし、詩人が問題にしているのは、悪しき者たちが神を侮っていることです。
神は自分たちの悪しき業に気がつくことができない、見つけることができないと、うそぶくのです。
だから、神を信じても助けてもらえないのだと、詩人を馬鹿にするのです。

しかし、愚かなのは彼らです。
創造主である方が、被造物である人の口にする言葉を聞き漏らすはずがありません。見えないことなどないのです。
詩人は彼らに対して愚かなことだと語り、耳を植えつけ、目を造った方から、隠しおおせるものなど人には何一つ無いのだと訴えています。

悪しき者たちがさばかれないのではありません。
神はさばく時にさばき、みこころのままに信仰者を助けます。
それは主のふさわしいと計画されてる時なのです。

主は、私の賛美の歌も私の呟きも、すべて聞いておられる。
私の良き業も、私がしなかった良き業もすべて見ておられる。
だから、主の戒めを知り、みおしえで導かれる信仰者は幸いなのです。
シャローム