「彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名を上げよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」創世記 11章4節 (2017新改訳)
絵画などでも良く知られる「バベルの塔」の物語です。
神が、民のことばを混乱させたので、人々は地の全面に散らされていった。
今もなお私たち人は、分かり合えず、違う人たちを受け入れることを苦手としている。
しかし神の責任ではない。
人が、自分で蒔いた種を刈り取っているのです。
人々は、自分たちが散らされないようにと、考えて塔を建てます。
高い、とても高い塔を建てて、神に代わろうとしたのです。
エバが、蛇に誘惑された時と同じ思いです。
人と人が散らされて、理解し合えなくなることを恐れたのでしょうか。
その時、神様と自分たちの交流が断たれてしまっていることに危機感を覚えたのならば、塔を建てるのではなく、神の前にへりくだり、神様との交流を求めるべきでした。
しかしそれができない罪人です。
名を上げたいのです。
自分のためにだけ、何かを成し遂げたいのです。
神のために仕え、隣人を助けるのは嫌だと思うのです。
私たちは散らされて、互いの間を理解し、受け入れることが難しいと知った時。
まず最初に、神様と私の関係をどうするべきかを考えて、求めるべきなのです。
神様は、罪人の私を滅ぼすのではなく、もう一度関係を結ぼうと忍耐を持って待ち、御手を伸してくださっているから。
天に届く塔を建てることはできません。私には決してできません。
しかし、天から架けられた橋(はしご)が私には届きます。決してなくならないイエス様の犠牲によって完成した橋です。
私たちが、自分のためにではなく、神様のために仕えたいと願うなら、神様かその前から私のために恵みを与えていてくださることを知るでしょう。
シャローム