「エリシャは彼に言った。「安心して行きなさい。」そこでナアマンは彼から離れ、かなりの道のりを進んで行った。」列王記 第2 5章19節 (2017新改訳)

アラムの国の将軍であるナアマンと主の預言者エリシャとの物語です。
癒されることのないツァラアトで苦しめられていたナアマンです。
軍人としての力もあり、その働きは王に認められるほどでしたが、彼はツァラアトに苦しんでいました。
その時、イスラエルから捕らえてきて、ナアマンの妻に仕えていた若い娘が、進言するのです。
イスラエルの預言者エリシャならば、ナアマンの病を癒せますと、伝えるのです。
彼女は、捕らえられて望まない状況にいたのですが、主人のためになることを教えます。
敵意や憎しみではなく、どんな時でも愛の行動が取れる人に倣いたいものです。
この女性は、主がいつでも良くしてくださるのだと、この状況下でも信じていたのです。
ですから良い行ないをしました。

選んだ節は主の励ましのことばです。
エリシャのことばに従ったことで癒されたナアマンが、アラムの国に帰るとき、心配なことがありました。
ナアマンには、国で王に従って、リンモンの神殿に入る仕事があったのです。
イスラエルの真の神を知ったナアマンは、偶像の神殿に入ることでさばきがあるのではないかと心配したのです。
王と行動は一緒にするが、心は偶像の神々には向かうことはないので、その仕事を許して欲しいとの思いです。

主は、信じた後のことも心配して助けてくださる。
私たちの周りにも偶像の神々が溢れています。そこで生きる時には知恵と決断が必要です。
いい加減、どっちつかずな態度や生き方ではいけないのです、
しかし、主は、助けてくださり、ともにいてくださる。

アラムに捕らえられた女性にも主の守りはあったのです。
それを信じるから、彼女はただしい行動、愛を示しました。
ナアマンはそれで動き、癒されるきっかけになりました。
アラムに戻るナアマンもまた、新しい生き方が始まるのです。
心配はいらないのです。あの女性のように、偶像の神がが溢れる中でも正しく愛の行動が取れたように、ナアマンも新しい人として行動できます。
心とたましいが主にいつも繋がっていれば、行動は決まってきます。
主がともにいてくださり、安心しなさいと言ってくださるのです。
シャローム