「この人たちは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れる心もなく一緒に食事をしますが、自分を養っているだけです。〜実りなき秋の木、」 ユダの手紙 12節(2107訳)
水曜日です。聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ユダの手紙です。
ヨセフとアリアの子ども、イエス様の地上での弟の一人です。
この手紙を書いたときには、イエスを肉の兄弟としてではなく、救い主であり、わが主と、告白して、主のしもべであると喜び感謝して歩んでいました。
教会の指導者の一人になっています。
今、教会に起きている危険な教え、入り込んできた偽の弟子たちに、気をつけて、しっかりと信仰の戦いをするように、緊急の手紙を書きました。
気をつけなければならないことが、いつの時代にも起きてくるのです。
サタンは、狡猾で魅力ある言葉や物で私たちをいつの間にか誘惑しているのです。
ですからユダは言います。「信仰のために戦え」
12節、13節では、偽の弟子たち、間違った教えを広めている人たちのことを、厳しい言葉で表して評価します。
「愛餐のしみ。風に吹き流される雨無し雲。枯れて根こそぎにされた、実りなき秋の木。自分の恥を泡立たせる海の荒波。さまよえる星。」
実りが無く、平安もなく、希望もない存在である。しかも神に敵対して自分を高くする存在であると、厳しく評価します。
収穫の秋に実りがない木では、イエス様に再会する日は期待することもできません。
この人たちの問題は、神を正しく恐れることがないことです。
ですから、教会の愛する人々を平気で欺き、一緒になって親しげに食事までしますが、信仰の友人、神の家族になれないのです。
私たちは、聖書のみことばに親しみ、よく祈らなければなりません。
しかし祈るとき、主からの答えが自分の思い通りにならなくても、信仰によって祈り続け、受け入れていく覚悟が必要です。それも信仰の戦いです。
主イエスのしもべですと、告白できるならば。
主の恵みをそのまますべて受け入れることが、しもべの姿勢です。
自分を自分で養ってはいけないのです。
私の必要は主が御存じであり、必要は私の想像以上に豊かに与えられえる。ただし、すべて私が願う通りではない。
でも、私は実り多き秋の木としていただいているのです。
主の愛餐に心から加わっていることを喜びます。
シャローム