「それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。」 ペテロの手紙 第一 4章2節

4章は、キリスト者が苦しみに会うことを示します。
それを避けることを祈り求めるのではなく、日々の祈りを通じて、苦しみに会うことはキリストに倣う生き方をしている証しであることを覚えて、しっかりと心構えをするように勧めるのです。

地上での生活を、肉の欲望のままに生きるならば、確実に近づいているさばきの日には、その人は滅び行くことになります。
しかし、キリストを愛し、キリストが歩まれた苦難の道を辿ることを拒まず、神のみこころを求めて生きるなら、その人は苦しみの先に歓喜が待っています。
イエス様が、苦しみの末に十字架の死からのよみがえりと言う歓喜を経験されたように、私たちも歓喜する時が備えられています。

私たちはそれぞれキリストを信じ愛しています。そのキリストにいつ出会ったでしょうか。
出会ったその時から、もう一度お会いするその日まで、地上での残された時を、どのように過ごしましょうか。
それは間違いなく、残された時です。
主のその時に、私を両手を広げて迎えてくださます。
その日に、恥じることがないように、祈りのために心を整え、身を慎み、イエス様の苦しみのほんの一端でも受け取って、後をついて行きたいものです。
私たちが欲望のままに生きるならば、それはきっと際限がないことでしょう。
しかし神のみこころを求めていくならば、その祈りは尽きることがなくあふれ出ることでしょう。
どちらを選んで、終末の日にイエス様を顔を会わせましょうか。
アドヴェントのこの時期です、イエス様との再会を楽しみに期待して過ごしたい。
シャローム