「彼らは心の中でさえこう言わなかった。 「さあ、私たちの神、主を恐れよう。 主は大雨を、初めの雨と後の雨を、 時にかなって与え、 刈り入れのために定められた数週を 守ってくださる」と。」エレミヤ書 5章24節
口先で主を信じていると言っても、彼らには真実の言葉はなく、平気で嘘をつき、主に背くのだと、指摘しています。
そしてそんな彼らはイスラエルの民であるにも関わらず、主の恵みを感謝していません。
大雨、初めの雨、後の雨とは、季節ごとに主が降らせてくださる雨を指します。
イスラエルにこの雨が降るので、豊かな収穫が期待できるのです。
しかし、彼らはそれが主の恵みによるものであることさえ忘れています。
口先で嘘を言い。
心の中にも主への信仰、感謝さえありません。
しかしエレミヤは叫びます。
「さあ、私たちの神、主を恐れよう。」
主を恐れるとは、恐怖の心を持つこと、脅えることではありません。
主を、主としてあがめ、その主から届く恵みに感謝して賛美の声を上げることです。
主を恐れる人は、主への賛美と感謝を忘れない人です。
その人には、主は必要な恵みの雨を、時にかなって降らせてくださる。
実際の日常で降る雨、霊的な雨が降ります。
そしてその人は、乾ききってしまうことなく、潤い、癒されていくのです。
その人は、さばきの日にも、残された人として、主の守りと恵みの中にいることになります。
さあ、主を恐れよう。
さあ、主を愛そう。
主が、私を愛して、守ってくださるのだから。
シャローム