「神のみこころであるなら、悪を行なって苦しみを受けるより、善を行なって苦しみを受けるほうがよいのです。」 ペテロの手紙 第一 3章17節
ペテロが手紙を書いた時代の教会は,現代とは違う迫害や困難がありました。ですから手紙を書いて励まし導く必要があったのです。
13節では「良いことに対して熱心であるなら〜害を加えるでしょう」とあります。
しかし続く14節では「たとえ義のために苦しむことがあっても」と言葉が続きます。矛盾しているようです。
キリストを主として歩む時に,良いことを行なうように導かれ教えられますが、それ故に苦しめられることはあるのです。
実際にこの頃のキリスト者には苦しみがありました。
ここ17節では、善を行なって苦しみを受けるのは、私のために用意された神のみこころであると,示します。
しかし,苦しみの内容とその先に待っている結果が、悪を行なって苦しみを受ける場合とは全く違うのです。
18節では,私たちの経験する苦しみは既にイエス様が経験してくださったものであると教えます。
それは私たちが苦しみを受ける時は、そこにイエス様がともにいてくださることを教えるものです。
その苦しみの先にあるのは,絶望やさばきではなく,希望であり主から与えられる祝福です。
ヨハネの黙示録で語られる通り、生ぬるく、熱くも冷たくもない信仰の歩みを,主は喜ばれません。
苦しみを受ける時に、これはイエス様に倣い善を行なっているからだと、そのように受け止められる生き方をしたいものです。
それでも苦しみは私たちを弱らせます。そうならないように主の祈りを祈りつつ歩み。
14節にある通り,人を恐れず,主のみことばを一番にして歩みたい。
聖霊の導きと助けがあることを信じて、今日も神のみこころを求めつつ歩んでいきたい。
シャローム