「主であるわたしは変わることがない。 そのため、ヤコブの子らよ、 あなた方は絶え果てることはない。」 マラキ書3章6節

3章は、終末の日に主が必ず地上に来られて、全地とそこに住む者に対して完全なさばきをおこなうことを語ります。
その時、神に敵対する者は誰一人として、神の前に立っていることはできないと、教えます。
また、主を信じる者は、その日、まことの祝福を注がれ、喜びを知ることになります。
偽りを行う者、神に背く者がどれほど豊かであったように見えても、その日にはすべてが明らかにされていきます。

そのような日に祝福される人とは、どのような人でしょうか。
完全に律法を守り常に誠実で、神に従い通した人でしょうか。
そんな人はいません。
私たちには、そのような完全な信仰や完璧な愛の生活を送り通すことはできないのですから。
弱い私たちは、それでは神の背く者となって滅びるのでしょうか。
そうではありません。
「絶え果てることはない」のです。
何故ですか「主は変わることがない」からです。

主は、私を選び、愛してくださり、最初に一方的な恵みを注ぎ、契約を与えてくださったのです。
主はその契約を忘れないで、捨て去りません。変わらないのです。

ですから、私たちは終末の日に、その主の変わらない愛によって、一方的な恵みによって救い出され、祝福されるのです。
それならば、何をしてもいても、悪を行っても良いのでしょうか。
そうではありません。
変わらない主の愛があり、祝福が約束されているのですからこそ、私たちは失敗しても、主を死し続け、従うことを求め続ける今日を送るのです。

変わらない主と、失敗と欠けばかりの私なのです。
それでも愛され祝福されることを改めて覚える朝です。

シャローム