「この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。 「聖なる、聖なる、聖なる、 主なる神、全能者。 昔おられ、今もおられ、やがて来られるかた。」」ヨハネの黙示録 4章8節 (2017新改訳)

ここには天の門とそこにあるものが書かれていますが、その意味は分かりません。
24の座は、救われた信仰者のための座であると思われますが、その座の意味も、そしてその後に登場する生き物の意味もよく分からないのです。
四つの生き物は、イエス様の姿であるとも言われますが、根拠はありません。
六つの翼の持つ意味も、示されていないのです。
目で満ちていると言う記述もありますから、この生き物は、非常に良く周り全体を見ているのでしょう。

分かっていることと言えば、その生き物が、昼も夜も休みなく言い続けていたと言うことです。
その言い続けていた内容は、イザヤ書6章2節に登場するセラフィムが互いに呼び交わしていた言葉に似ています。

主なる神が聖であることを、最上級の表現である「聖なる、聖なる、聖なる、」と言う言葉で表しています。
しかしイザヤ書とは違う言葉もあります。
「昔おられ、今もおられ、やがて来られるかた。」と言う言葉はイザヤ書にはありません。
主が、歴史の始めから終わりまで存在しておられる方であることを示し。
さらに終末の時に再び地上に現れる方であることを示します。

ただ、何故そのようなことをここで語るのかは分かりません。
分かっていることがあります。
それは新しい天と地においてはいつも、主なる神様への賛美が溢れていることです。
そこには罪も汚れもなく、主への賛美が満ち溢れているのです。
目でよく見て、賛美しているのです。

翼を持っていますから、賛美が宙を飛び交い、あらゆるところを賛美のことばが満ち溢れていることを示しているのではないでしょうか。
悪意や暴言と言ったものが、響くことはないのです。
しかしその時をただ待つのではなく、私たちはこの唇に賛美を上らせ、この手と足で主をほめたたえる行動をおこない、この日までに少しでも私たちの世界を賛美で満たす働きをしたいものです。
御国の建設は、よく見て、良く賛美することから始まるのではないでしょうか。
そうしたい。

シャローム