「ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子であると、知りなさい。」ガラテヤ人への手紙 3章7節

アブラハムの子とは、神様の子どもであり、罪人ではなく義であると神様が見てくださっている人です。

3章には「信仰によって」という表現が繰り返されます。
律法を守ることによって、義とされるのではない、ということに対比して使われています。
いえ、実際に信仰によって、私たちは神の子どもとされたのです。
そして、神に喜ばれる生き方を始めたのです。

イエス・キリストを知らないままの人生では、本当に生きていると言えないのです。
それでは、滅びに向かって地上での何十年間の人生を生きて滅ぶことになります。
しかし、神は罪人の私を愛して、救い出そうとイエス・キリストの命を身代わりに献げました。
そのことを信じた人は、信じたことで救われて、永遠のいのちを持って、生きるようになります。

自分の力によって、律法を守ることによって、修業を修めることによってでも、それはかないません。
ただ、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ、私たちは罪人ではなく義とされ手、神の子どもになるのです。
私の生き方の土台は、信仰によるのです。
信仰によって私は生きて、信仰によって真の価値ある人生を生きるのです。神の子どもとして。
「信仰によって」今朝、このことばを深く思い、自分のものとしたい。

シャローム