「実に、さばきつかさたちがイスラエルをさばいた時代以来、イスラエルの王たちとユダの王たちのどの時代にも、このような過越のいけにえが献げられたことはなかった。」 列王記 第二 23章22節
ヨシヤ王の宗教改革、偶像を取り除く行動は、徹底していました。
偶像を焼き、打ち砕き、投げ捨てます。
高きところなど、偶像を拝んでいたところは破壊し、取り除き、汚れた場所だと明らかにしました。
そして王は、民に対して過ぎ越しのいけにえを献げるように命じたのです。
驚くのは、ここ22節に、これまで分裂王国では、過ぎ越しのいけにえが献げられて来なかったという事実です。
あのエジプトから主によって救い出されたことを記憶し、感謝し、賛美する大切な、大切な過ぎ越しを祝ってこなかったことに驚くのです。
偶像の神々にはいけにえを捧げ、時に子供さえも焼いたりもしました。主の宮の中にさえ偶像の神々を祀る神殿を建て、男娼と共に倒錯した時を過ごして来たと言うのにです。
真の神、イスラエルの真の神様へ、大切な過ぎ越しを祝ういけにえを全く献げて来なかったと言うのです。
驚きます。悲しむほかありません。
主は、ヨシヤ王の宗教改革、王が悔い改めて主に立ち返り、民を正しく導いたことを認めますが、さばきは取り去ってくださらないのです。
それほどまでにこれまでの王と民の罪は大きく、深いものだったのです。
私たちも、今、小さな罪もそのままにすることなく、悔い改めを日々の友人として過ごし。
真の神に砕かれた悔いたたましいを献げて、主のことばに従って歩み続けたい。
シャローム