「神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。」 ヘブル人への手紙 4章10節

4章は、1節の初めから創世記に記されるとおり、神が、7日間の内の6日間で天と地のすべてを造られて、7日目に休まれたことに倣って、私たちも業を休むのです。
それは神の安息に私たちが入るためです。

私たちが「自分のわざを休む」とは、どういうことでしょうか。
それは自分のために仕事をしたり、自分のためにおこなうことを休むのです。
休んで、その時は、神のために時間を使い、神を一番として行動をするのです。

もちろんそのわざには、安息日に献げる礼拝ということがあります。
一週間の7日の内の7日を全部自分のために使っても、それで自分が望むものが、望むとおりにすべて手に入るわけではないのです。
自分のわざを休んで、神を一番にする一日を過ごす人が、一番大切な神の安息に入ることができるのです。

主のことばに従わないで7日間を丸々労苦したとしても、約束のものは手に入りません。
自分のわざを一度止めて休み、主を礼拝して、主のことばに従える人が、主の約束を受け取れる人なのです。

わざを休む勇気。
神のことばに従う素直さ。
お手本は、創世記の1章と、イエス様の歩まれた道筋です。
シャローム