「私は主の日に御霊に捕えられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。」ヨハネの黙示録 1章10節 (2017新改訳)

主イエスに愛された弟子であり、その後は、教会で長老として伝道者として仕えて来たヨハネが、この世界の終わりの時の様子を記しました。
そして今、ヨハネはローマ帝国の迫害によって、パトモス島に島流しの刑によって捕えられています。
その時、主はヨハネに特別な使命を与えてこの黙示録、終わりの時の様子を預言のことばとして与え、その様子を見せてくれたのです。

1章には、イエス・キリストが、この世界の始まりの前から終わりの時まで、存在している方であることを示します。
同時に今も、生きて働いておられる方、私たちを愛してくださっていることを示します。

この世界、私たちが生きる地上も、今ある天も、一度滅びる時が確実に、神様の約束通り、神様の定められた時に、起きることを語ります。
約束なのです。確実に起きることなのです。
その日、その時間まで、イエス・キリストを、私の救い主と信じた人はどう生きるのかを問います。
そのことが起きることを知った上で、自分の歩み方を問われるのです。

そして語ってくださったイエス様と共に、ヨハネに働きかけてくださったのは聖霊です。
ここに特別な表現があります。
「私は主の日に御霊に捕えられ」
聖霊に私たちは捕えられなければなりません。
ラッパが大きな音で響き渡るように、大切な神様の声を聞き、従うためには祈ります。
しかしその祈りは、自分勝手な祈りではなく。
聖霊を私が利用するわけでもなく。そんなことはできないのですが、そのような錯覚を引き起こすことがあります。
私は聖霊に捕えられて、その正しい支配の元で、導かれ力を受けて祈り、聞きます。
すると、私が今日すべきこと、これからすべきことが分かるのです。

私の日々が、日曜日だけでなく、毎日が主の日のように、主に委ね、聖霊に捕えられて夕に朝にと生きるのです。
その時、私が今日、聞くべき主の声がハッキリと聞こえることでしょう。
そして私は感謝と喜びの中で、その声に聞き従えるのです。
もし、時に難しいと思うことを示される声を聞いても、聖霊にしっかりと捕えられているのですからできるのです。
シャローム